第68回(2020年) 日本エッセイスト・クラブ賞

第68回日本エッセイスト・クラブ賞は6月23日、審査委員会(原田國男委員長)の最終審査の結果、下記の2作品の受賞が決まりました。贈呈式は9月7日、日本記者クラブ内で行われました。1953年創設のクラブ賞は、エッセー、評論などの分野で最も権威のある賞として定着しています。 



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審査報告

エッセイとは何か?
審査委員長 原田 國男

 第68回を迎えました日本エッセイスト・クラブ賞の審査の過程を報告いたします。
 今回は、21名の会員からの推薦作品が23点、出版社からの推薦が36社、73点、この他、個人応募が17点で合計113点の応募がありました。これらのうちから、審査基準に外れる作品を除外して106点が審査対象となり、予備審査を経て、72点に絞り込まれました。10名の審査委員による審査が4回行われ、6月23日に最終審査を経て、受賞作2点が決定しました。この間、コロナ感染による緊急事態宣言もあり、全員参加による審査に支障が生じ、そのため、例年よりも1か月近く、審査に時間を要しましたが、三密を避ける工夫などして、なんとか最終審査を迎えることができ、ほっとしました。
 最終審査に残った作品は、以下の7点です。

  岩瀬達哉さん『裁判官も人である 良心と組織の狭間で』
 上野誠さん『万葉学者、墓をしまい母を送る』
 信友直子さん『ボケますから、よろしくお願いします。』
 今福龍太さん『宮澤賢治 デクノボーの叡智』
 関啓子さん『「関さんの森」の奇跡』
 神野紗希さん『もう泣かない 電気毛布は 裏切らない』
 服部英二さん『転生する文明』

  読み応えのある作品が多く、票が割れました。今回も、エッセイとは何かが議論となり、本賞は、純粋なエッセイに限るべきだという意見も出されました。一応、審査基準においては、ノンフィクション、ドキュメントも含む広い基準が採られていますが、具体的受賞については、エッセイに限定するほうがよいという意見です。これに対して、2作品受賞の場合は、純粋なエッセイでないものも含めるべきだという意見もありました。今回は、2作品が同等の評価を受け、議論を尽くしても優劣が付きませんでした。そこで、岩瀬達哉さん『裁判官も人である 良心と組織の狭間で』と上野誠さん『万葉学者、墓をしまい母を送る』が受賞と決まりました。
 おめでとうございます。
 お二人のますますのご活躍を祈念して審査報告を終わります。

審査委員
委員長 原田 國男
委 員 秋岡 伸彦  海老沢小百合  後藤 多聞  高村 壽一  降幡 賢一  松本 仁一  村尾 清一  よしだみどり  吉野源三郎 


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受賞作の紹介

「人間臭さ」と「本音」
岩瀬達哉著『裁判官も人である 良心と組織の狭間で』
審査委員 吉野源太郎

 本書のタイトルは「裁判官は神ではない」と言い換えられるようです。本書に描かれる裁判官の人間臭さは、裁判官の弱さです。そこに提示される著者の問題意識や危機感は私の胸にも響きます。新聞記者として裁判あるいは裁判官個人を見る時にいつも感じてきた疑問です。
 「神様でもないのに、孤独や圧力に耐えて、法律だけをよりどころに、どろどろした人間の世の中を裁くことが可能なのだろうか?」  著者の結論を煎じ詰めれば「かろうじて可能」ということになります。ただし、それは裁判官の身分が脅かされない限り、という身もふたもない条件付きです。著者によると、身分を脅かす最も大きな存在は、最高裁判所の事務総局ということになるようです。この点には異論もあるようですが、残念なことに私が見てきた現実もおおむねそれに重なります。

 新聞記者として、と言いましたが、実は私の場合、正確ではありません。そんなことを考えるはるか以前から私の裁判官のイメージは長い時間をかけて形成されてきました。たまたま私の住む家の隣地、にある時、裁判所の判事官舎が建ったからです。
 最初に官舎が建ったのは半世紀以上も昔、私がまだ小学生だったころでした。隣家にも同じ学校に通う判事の子息や子女が住んでいました。そろって私とも仲良く皆、秀才。平和で豊かな家庭に見えました。
 歳月が過ぎ、官舎の住民も何度か代替わりをしました。誰が入居しても、そこは依然、近隣でひときわ静かな一角でした。休日になると官舎の庭から塀越しに判事がゴルフの練習をしているらしい「コーン、コーン」という乾いた音が響いて来たりしたものでした。
 私が新聞記者になってからのことです。隣家に引っ越してきた何人かの判事を、近所づきあいを口実に訪ねたことがあります。相手はもちろん警戒しましたが、私が隣人とわかると、そこは紳士、皆おだやかに迎え入れてくれました。そうなって話が始まれば、こちらのものです。
 裁判所に関してはいつも話題にこと書きません。冤罪事件、裁判官のスキャンダル、選挙違反や一票の格差をめぐる憲法判断、さらには原子力発電所事故をめぐる訴訟。世の中の激しい変化の中で、司法の独立は保てるのか、法曹一元化や裁判員制度などの制度改革の過程で絡み合う思惑と誤算……
 本書の著者も答えを探して全国を飛び回ったようです。しかし裁判官たちの本音はなかなか出てきません。むしろ本書を読んで驚くのは、裁判の内容や裁判のあり方そのものに関する彼らの答えではなく、著者があぶり出した裁判官たちの本音、すなわち裁判所人事に関する異様に強い関心、そして彼らの上昇志向です。

 人事に振り回される彼らの姿は、私たち世俗の人間、特にサラリーマン社会の風景にあまりによく似ているのです。普段はたんたんと仕事をこなしていても身に危険が迫れば怯え悩みます。
 裁判官にも毅然としてことに臨む立派な人もたくさんいます。しかし、立派か悩むか、その違いが実際どのように判決内容を左右したのかはよくわかりません。著者はそこまでも踏み込もうとします。その取材姿勢には感心します。

 日本のマスコミの取材には、おそらく他国にはない特殊な方法があります。業界では「夜回り」と呼ばれるのですが、種々の事件や関連分野の動向について政治家、捜査関係者、公務員、民間人らの自宅を夜、約束なしに訪れて話を聞くやり方です。私の「隣家訪問」も一種の夜回りでした。
 なぜ夜かというと、日中は話を拒否して取材を逃げ回る相手でも、夜は自宅に帰るしかないからです。日中は怖い顔で堅苦しい話しかしない人でも自宅では気が緩むし、口も緩む。特に彼らの口が緩むのは人事に関する話題が出る時です。事実、夜回り先でもにこやかに話す彼らの表情が引き締まるのは、話題がサラリーマンの本音に触れるきわどい瞬間でした。
 自宅を訪ねるという、仕事なのか私生活の一部なのかわからないこんなやり方が日常的にまかり通るのは「公」と「私」の境界があいまいな日本だけなのでしょうが、しかし、夜の自宅では時折、建前と本音の間の矛盾が出てくることも事実です。だから面白いのです。
 裁判所人事への疑問、退官後の生活への不安……神が人間になる瞬間です。

 「結局、長いものに巻かれろということだったのですかね」
 「生まれ変わったら新聞記者になりたいな」
 別れ際に彼らが漏らしたつぶやきは複雑でした。著者はそれらの本音の裏表を丁寧に追っていきます。

 労作です。読みながら私の耳には隣地の庭から響いてきたあの時の寂しげな乾いた音が聞こえてくるような気がするのです。

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受賞の言葉

心からの謙虚さ
         岩瀬 達哉  

 受賞の知らせは、国会図書館で調べものをしていたときに受けました。資料検索が一段落したところで携帯電話をみると、数分おきに数回、同じ番号の電話が入っていたので折り返してみると、事務局の方から選考委員長の原田國男先生にかわり、「受けてくれますか」とのお話でした。
 ノミネートされていること自体、まったく知らなかった私は、ただただ驚くばかりで言葉がでず、どうにか「伝統ある名誉な賞をいただけて光栄です」とお答えしました。
 『裁判官も人である』の企画は、講談社の鈴木章一さんが立てた企画です。鈴木さんとは、これまでもいろんな仕事をさせてもらっていますが、この本は、「週刊現代」に掲載する連載企画について話し合っていたとき、日本の裁判所を真正面から取り上げることができないか、と話されたことに始まっています。4年前のことです。
 即座に私は、それはむずかしいと答え、とても取り組む自信がない旨を伝えたのですが、簡単にはできないのはわかっている。しかしできれば、意味のある本を読者に届けられるのではないかと説得され、兎にも角にも取り掛かってみることにしたというわけです。
 仕事がら名誉棄損訴訟で、何度か法廷に立ったことがあります。その都度、裁判官は雑誌メディアに偏見をもっているのではいないかという思いを抱いてきました。公正であるべき裁判官が偏見を持つことなどあるのだろうか。その疑問の解明からはじめることにしたのですが、以来、暗中模索の日々が1年ほど続くことになります。
 出版界ばかりか新聞界の常識でも考えられないことかと思いますが、その1年間は、ほとんど取材に歩くことなく、ひたすら資料を読んでおりました。法律関係の雑誌に掲載された裁判官や元裁判官の論文、あるいはそういった先生方が執筆されたご著書、さらには法学部の学生が教養課程で読むような参考書などを渉猟していたのです。よく言えば、知識の地固めと資料整理ということになるのですが、じつのところは、法服を着た裁判官の権威に気圧され、最初の一歩が踏み出せずにいたわけです。
 そんな資料漬けの中で、あるとき、裁判官は憲法で保障されているほどに独立していないのではないかとの思いが、ふと、浮かぶことになります。裁判官もまた、最高裁を頂点とする組織の統制の中に置かれ、自己の良心と組織の論理の間で揺れ動いているのかもしれない。だとすれば、一般企業に勤めるサラリーマンや行政官僚とさして変わらない管理下におかれ、悩み多き日常を過ごしているのではないか。この仮説をもとに取材をしてみよう――。
 最高裁が下級審の裁判所や裁判官を管理運営する司法行政を、ひとつの視点にして、裁判所の歴史をたどり、裁判所で働く裁判官の素顔の一側面だけでも描くことができれば、読者の知る権利に応えることができるのではないか。そう思い至ったわけです。
 とはいえ当時は、誰一人として、裁判官に知り合いがおりません。どのようにすれば彼らに会うことができるのか。うまい手が思い浮かばないなか、ダメ元で手紙を書き、それが届いたころに電話を入れ、取材のお願いを繰り返すという方法をとったのですが、これが驚くほど効率よく、打率にたとえればアポイントの取れる確率は6割といった印象でした。
 裁判官の先生方は、ご自身の問題意識にフィットする取材申し込みを受けると、どうにもじっとしていられなくなるようなのです。話をするかどうかは別にして、まず、会ってみたくなる。人を見る仕事をしてきたゆえの、抑えられない衝動のようなものがあったのではないでしょうか。
 もうひとつ、意外に感じたことは、取材でうかがったお話をコメントにまとめ、確認をお願いしたときのことです。いろいろ直しが入るものと思っていたのですが、ほとんど手が入らなかったのも驚きでした。取材中に幾度となく、この話を書いていいのか。これを書けば、誰が話したかわかるのではないかと念押しした方は数限りなく、あとで直しがはいるものと思っていたところ、これでいいと言われる方ばかりでした。
 法廷で証言する被告や被告人などの話を聞いてきた裁判官の特性として、一度語ったことを、あとで都合よく訂正することへの本能的嫌悪があったのかもしれません。とともに、語ったことには責任を持つという厳しい姿勢も共通していて、感服させられっぱなしでした。
 裁判所の歴史の中で消えない汚点とされているのが、長沼ナイキ基地訴訟での「平賀書簡事件」と、その後の「宮本康昭判事補再任拒否事件」です。その当事者や、事件の渦中にあって事情を熟知する元裁判官の先生方から、詳細な資料提供を受け、当時の緊迫したお話を聞けたことは、この本の背骨を創るうえで非常に役立ちました。
 当時、日本中を揺るがしたこの事件を、中学生だった私は新聞で知り、最高裁の理不尽な人事を批判する記事から、漠然とジャーナリズムの世界にあこがれるようになったことを思い出したものです。
 取材を終え、原稿を執筆している時も、また、不思議な感覚にとらわれていました。自分自身で書いているという気がせず、まるで操られるかのように書いている。そんな感覚での執筆でした。裁判所の現状を憂う裁判官や元裁判官の先生方の思いが、私をして書かしめたのが拙著であったのでしょう。
 拙著の完成を喜んでくれたのも彼らでした。とりわけお世話になった元裁判官の先生は、行きつけのレストランに誘ってくださり、奥さまを交え3人でワインを酌み交す会話のなかで、公権力を批判することの重要さを再認識した次第です。
 今回の受賞は、私にというよりは、拙著の誕生に協力してくれたすべての裁判官の先生方とともに授けられたものであったと思います。現状を憂い、正義の実現を求めてやまない彼らの心からの謙虚さがなければ、ひとつとして事実を掘り起こすことはできなかったでしょうから。受賞の栄誉を与えてくださった審査委員長ほか審査委員の方々には、感謝のほかありません。  

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

岩瀬 達哉(いわせ・たつや)  

1955年、和歌山県生まれ。ジャーナリスト。2004年、『年金大崩壊』『年金の悲劇』(ともに講談社)で講談社ノンフィクション賞を受賞。また、同年「文藝春秋」に掲載された「伏魔殿 社会保険庁を解体せよ」で文藝春秋読者賞を受賞した。他の著書に、『われ万死に値す ドキュメント竹下登』『血族の王 松下幸之助とナショナルの世紀』(ともに新潮文庫)、『新聞が面白くない理由』(講談社文庫)、『ドキュメント パナソニック人事抗争史』(講談社+α文庫)などがある。 


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受賞作の紹介

葬送の儀礼にたいする省察
上野誠著『万葉学者、墓をしまい母を送る』
審査委員 秋岡 伸彦

 福岡県甘木市(現、朝倉市甘木)で、手広く洋品を扱う商家である。
 1973年8月、その屋敷内で病の床にあった祖父が息を引き取ったときのことを当時13歳の少年、つまり著者は克明に覚えている。
 坊さんの枕経に前後して、まず地縁・血縁の男衆がやってきた。次いで白い割烹着姿の女衆が集まり、台所の煮炊きを手伝う。それが、この地のならわしだった。白黒の日本映画を観ているような、懐かしい情景である。
 仮通夜が終わって、少年は遺体の置かれた座敷に来るように言われた。「なんばすっと」「じいちゃんば、風呂にいれるったい」
 母と祖母のふたりで行う「湯灌」だった。重い遺体を浴室に運ぶ手伝いに呼ばれたのだ。足がすくむままに、少年は肩にバスタオルをかけ遺体を背負った。立ち上がった瞬間、「祖父の右手がだらりと下がり、私の頬を撫でた」
 生々しいその感触のせいもあろうが、それにしても、祖父の葬儀にまつわるあれこれを微細に描写して、著者の記憶は鮮明である。
 ご本人も「われながら驚く」ほど記憶が保たれたのは、死と葬送の文学、万葉挽歌を学んだ学者修業の時代、少年の日の見聞を繰り返し思い起こしたからだ。それがまた「私の研究の原点になったような気がする」と。
 本書は、祖父が他界したあの夏の日から、母が亡くなる2016年冬までの43年間をたどりつつ、葬送の儀礼にたいする省察を加えている。著者自らはそれを「心性の歴史」とも言い換えている。人々の思考様式、感覚、メンタリティーの変化など、いわば小さな歴史の積み重ねから物事を考える試みだろう。
 そこで、祖父の葬儀である。
 祖母と母は、まるで愛撫するように祖父の体を洗い清めた。愛惜と畏怖。矛盾するようなこの思いを説いて、本書は一転、「古事記」「日本書紀」の神話の世界に読者を誘う。この辺の筋書き、展開は本書の真骨頂である。
 神話のイザナキノミコトは、イザナミノミコトの死を悲しむあまり黄泉の国まで追って、変わり果てた姿を見てしまう。女神の激怒と復讐、恐ろしい愛憎の物語だ。
 醜く、けがれた死者の世界と、清めやみそぎの儀式。祖父の湯灌のあと、祖母たちが着ていたもの一切、肩にかけたバスタオルも含めて焼却に回したことを、確かに少年は見た。
 家業を発展させた祖父は、立派な墓を遺した。納骨堂の上に墓石を乗せた、いわば2階建てだった。蔵で財力を競うように、お墓の競争もあった。とくに長崎で唐人の子孫たちが、祖霊を祀る霊廟の考え方を伝えたことも影響した。
 しかし―「もう、うちにはこげな大きな墓は 無理ばい。いまや分不相応たい」。祖母と父が亡くなったあと、家族で相談したときの、これが母の一言だった。
 つまり、タイトルの「墓をしまう」件である。新しく手に入れたお墓は、福岡市郊外の霊園の一角にある。石材もデザインも似たり寄ったりのお墓が丘陵を埋めつくしているという。
 そして、老いた母を著者が住む奈良に呼び寄せ、7年間介護に尽くした末が、すなわち「母を送る」件である。俳人として、福岡俳壇で地歩を築いた母の旅立ちはどうあるべきか。
 厚葬と薄葬の思想の違い、地縁・血縁のネットワークの減衰などに分析を加えつつ、現実に母を送る身で悩み、迷いが行間ににじむのは、むしろ当然のことだろう。結局、選んだのは葬儀場での家族葬だった。葬儀社任せではあったが、湯灌は施した。
 「この世にし 楽しくあらば 来む世には 虫に鳥にも 我はなりなむ」
 万葉集にある大伴旅人のこの歌は、母も大好きだった。この世で楽しく生きさえすればと、現世肯定の歌の思想に、母の葬儀を決める「後押し」をされたと記している。
 さて、しかし今、世界を、まさに現世を覆うコロナ禍は、人々の「心性の歴史」にどんな一節を書き加えることになるのだろうか。

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受賞の言葉

  ありがとうございました
    上野 誠

 この世でね 楽しく生きたらね……
 あの世では 虫になっても鳥になっても 俺はかまわんさ
 踊らにゃそんそん

 生きとし生ける者は――
 ついには死を迎える
 ならばならば この世にいる間は……
 楽しく生きなきゃー ソン!

 努力をしても報われることのない世の中で、賞をいただけたということは、ありがたいことである。人生の僥倖である。ありがとうございました。だから、賞金は、すべて遊興費として散財したいと思う。エッセイストと呼ばれるからには、貯金したり、寄附したりするのは、よくない(と勝手に思っています)。
 受賞の時なので、偉そうに大言すると、私は万葉学徒として、教員のひとりとして、さらには研究者として生計を立てている。『万葉集』の研究のなかでも、得意とするのは「文化論」で、文学研究よりも、万葉歌の表現分析を通した文化研究に軸足を置いて研究をしている者だ。また、三十代までは、民俗芸能研究も行なっていた。そこから、民俗学の先駆者のひとり折口信夫の研究も行なってきた。これらの仕事は、楽しいことは楽しいけれども、業績を上げないと、求職もできないし、昇任もできないので、いわばあくせく・・・・やってきた仕事である。
 一方、エッセイは、楽しい仕事だ。こちらは、本を読む楽しみから生まれる読書もの。故郷の九州の人と風土を語る九州もの。奈良や大学について語る近辺雑事ものに分かれる、と思う。
 では、『万葉学者、墓をしまい母を送る』は、どういう本かといえば、広くいえば九州ものの一つということになる。故郷の福岡には十九年、東京の学生生活は十二年、奈良での教員生活は二十九年に及ぶ。だから、私には私のノスタルジーがあって、故郷の朝倉市、育った博多、家族についてはよくネタにしている。
 ただし、本作は介護と死というものをどう考えるか、家族の歴史をどう考えるのかということがテーマの本なので、古典研究と民俗学を足場として、自らの体験を語ることとした。介護とそれに連続する死をどう捉えるかということについて、正解などあろうはずもない。環境や経済力に左右されるし、千人千色だと思う。さらにいえば、介護される側と、介護する側の哲学のようなものが、一期一会の介護と死のかたちを作り上げてゆくのではないか、と思われる。自分勝手な哲学かもしれないけれど、私は介護する側が幸福でないと、介護される側も幸福でないと考えたので、八十八歳の母を騙してまで、勤務先の奈良に連れて来た。それも、一度も福岡から離れたことがない母を、である。
 本書は、一九七三年八月の祖父の死からはじまり、二〇一六年十二月の母の死に及ぶ四十三年の家族小史であり、死の歴史でもある。地縁と血縁に支えられた祖父の介護と葬式。それは、多くの人びとの時間と、多額のお金を使うものであった。一方、母の介護と葬式は、多くの外注産業によって成り立つものであった。私は、死の外注化と呼んでみたが、今となっては当然のことだと思っている。私たちは、地縁と血縁のネットワークを維持するための時間とお金のコストをかけていない。だから、介護となるといきなり、家族のなかの特定のひとりが、そのすべてを抱え込んでしまうのである。
 しかし、私は、祖父の介護と死のかたちがよかったとは、まったく思わない。四十年前は、延べ何十人という女衆が、三日間にわたり数百食にも及ぶ食事をひたすら作り続けていた。当然、揉め事もある。その間、男衆はグダグダと酒を飲んでは話し合いをするだけ。考えてみると、今の私のアパートには、そんなスペースもありゃしない。死者を風呂に入れる湯灌の儀礼も、家族の女たちの仕事だったのだ。
 私は、今、四十年前とは別の国に生きているのだと思う。介護や死の外注化について、豊かだった日本の死の文化が失われてしまったということは簡単だけれども、そういった無責任な議論をする人は、どのように介護され、どのように葬られるのか。見てみたいものだ。
 母が死ぬ直前に私が書いていたのは、「讃酒歌十三首の示す死生観――『荘子』『列子』と分命論」(芳賀紀雄監修、鉄野昌弘・奥村和美編『萬葉集研究』第三十六集所収、塙書房、二〇一六年)という論文だ。大伴旅人は、宴を楽しむ時間こそ、至福の時であり、宴の最中に、偉ぶって説教するやつなんぞ、猿だと毒を吐いている(巻三の三四四)。また、酒を飲んだ者は、鳥や虫に生まれ変わって、人間に生まれ変われないと仏教経典に書いてあるのなら、俺は宴を楽しんで、鳥や虫に生まれ変ってもよい、と歌っているではないか。

 この世にし 楽しくあらば む世には 虫に鳥にも 我はなりなむ

 生けるひと 遂にも死ぬる ものにあれば

 この世にあるは 楽しくをあらな
(巻三の三四八、三四九、拙訳は冒頭に掲げた)

 大伴旅人は、中国、六朝時代の思想に学び、今、ここ、私の幸福こそが大切だと考えたのである。このいわば、中国の実存主義ともいうべき思想は、老荘からはじまり列子に引き継がれ、唐代に至って、禅の思想に引き継がれた。その流れのなかに、大伴旅人も不肖私めもいるのである。

 彼らは、独善的な教条主義を極端に嫌い、形骸化した儀礼を鼻で笑った。にわか「家長」となって介護を担当した私は、母の葬儀についても、戒名についても悩んだが、その都度、旅人や列子、臨済義玄の言葉に励まされて、一つ一つの決断をしていった。とにかく、シンプルにと(あたりまえのことで、とりたてていうのも、おこがましいけれど)。
 もちろん、教条がなくては指針が定まらないし、儀礼が外からは見えない心をかたちにする大切な文化だということも、知ってはいる。が、しかし。私には、これ以外に選択肢がなかった、と思う。
 「お母さん、それでよかったろうがぁ。しかも、よか賞まで貰ろうたとばい――」。      

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

上野 誠(うえの・まこと)  

1960年福岡県生まれ。國學院大學大学院文学研究科博士課程後期単位取得満期退学。博士(文学)。現在、奈良大学文学部教授(国文学科)。研究テーマは、万葉挽歌の史的研究と万葉文化論。歴史学や考古学、民俗学を取り入れた研究で、学界に新風を送っている。第12回日本民俗学会研究奨励賞、第15回上代文学会賞受賞。『魂の古代学―問いつづける折口信夫』(新潮選書、第7回角川財団学芸賞受賞。『折口信夫  魂の古代学』と改題、角川ソフィア文庫)、『万葉文化論』(ミネルヴァ書房)、『折口信夫的思考―越境する民俗学者』(青土社)、『万葉挽歌のこころ―夢と死の古代学』『遣唐使阿倍仲麻呂の夢』(ともに角川選書)、『大和三山の古代』『万葉びとの宴』(ともの講談社現代新書)、『日本人にとって聖なるものとは何か―神と自然の古代学』(中公新書)、『万葉から古代を読みとく』(ちくま新書)、『天平グレート・ジャーニー 遣唐使・平群広成の数奇な冒険』(講談社文庫)ほか著書多数。原作・脚本を手がけたオペラ「遣唐使」シリーズも好評を博している。