審査報告
第68回を迎えました日本エッセイスト・クラブ賞の審査の過程を報告いたします。今回は、21名の会員からの推薦作品が23点、出版社からの推薦が36社、73点、この他、個人応募が17点で合計113点の応募がありました。これらのうちから、審査基準に外れる作品を除外して106点が審査対象となり、予備審査を経て、72点に絞り込まれました。10名の審査委員による審査が4回行われ、6月23日に最終審査を経て、受賞作2点が決定しました。この間、コロナ感染による緊急事態宣言もあり、全員参加による審査に支障が生じ、そのため、例年よりも1か月近く、審査に時間を要しましたが、三密を避ける工夫などして、なんとか最終審査を迎えることができ、ほっとしました。最終審査に残った作品は、以下の7点です。
岩瀬達哉著『裁判官も人である 良心と組織の狭間で』(講談社)
上野誠著『万葉学者、墓をしまい母を送る』(講談社)
信友直子著『ボケますから、よろしくお願いします。』(新潮社)
今福龍太著『宮澤賢治 デクノボーの叡智』(新潮社)
関啓子著『「関さんの森」の奇跡』(新評論)
神野紗希著『もう泣かない 電気毛布は 裏切らない』(日本経済新聞出版)
服部英二著『転生する文明』(藤原書店)
読み応えのある作品が多く、票が割れました。今回も、エッセイとは何かが議論となり、本賞は、純粋なエッセイに限るべきだという意見も出されました。一応、審査基準においては、ノンフィクション、ドキュメントも含む広い基準が採られていますが、具体的受賞については、エッセイに限定するほうがよいという意見です。これに対して、2作品受賞の場合は、純粋なエッセイでないものも含めるべきだという意見もありました。今回は、2作品が同等の評価を受け、議論を尽くしても優劣が付きませんでした。そこで、岩瀬達哉さん『裁判官も人である 良心と組織の狭間で』と上野誠さん『万葉学者、墓をしまい母を送る』が受賞と決まりました。おめでとうございます。
お二人のますますのご活躍を祈念して審査報告を終わります。
審査委員長 原田國男
委 員 秋岡伸彦 海老沢小百合 後藤多聞 高村壽一 降幡賢一 松本仁一 村尾清一 よしだみどり 吉野源三郎
岩瀬達哉著『裁判官も人である 良心と組織の狭間で』
心からの謙虚さ
岩瀬達哉
受賞の知らせは、国会図書館で調べものをしていたときに受けました。資料検索が一段落したところで携帯電話をみると、数分おきに数回、同じ番号の電話が入っていたので折り返してみると、事務局の方から選考委員長の原田國男先生にかわり、「受けてくれますか」とのお話でした。
ノミネートされていること自体、まったく知らなかった私は、ただただ驚くばかりで言葉がでず、どうにか「伝統ある名誉な賞をいただけて光栄です」とお答えしました。
『裁判官も人である』の企画は、講談社の鈴木章一さんが立てた企画です。鈴木さんとは、これまでもいろんな仕事をさせてもらっていますが、この本は、「週刊現代」に掲載する連載企画について話し合っていたとき、日本の裁判所を真正面から取り上げることができないか、と話されたことに始まっています。4年前のことです。
即座に私は、それはむずかしいと答え、とても取り組む自信がない旨を伝えたのですが、簡単にはできないのはわかっている。しかしできれば、意味のある本を読者に届けられるのではないかと説得され、兎にも角にも取り掛かってみることにしたというわけです。
仕事がら名誉棄損訴訟で、何度か法廷に立ったことがあります。その都度、裁判官は雑誌メディアに偏見をもっているのではいないかという思いを抱いてきました。公正であるべき裁判官が偏見を持つことなどあるのだろうか。その疑問の解明からはじめることにしたのですが、以来、暗中模索の日々が1年ほど続くことになります。
出版界ばかりか新聞界の常識でも考えられないことかと思いますが、その1年間は、ほとんど取材に歩くことなく、ひたすら資料を読んでおりました。法律関係の雑誌に掲載された裁判官や元裁判官の論文、あるいはそういった先生方が執筆されたご著書、さらには法学部の学生が教養課程で読むような参考書などを渉猟していたのです。よく言えば、知識の地固めと資料整理ということになるのですが、じつのところは、法服を着た裁判官の権威に気圧され、最初の一歩が踏み出せずにいたわけです。
そんな資料漬けの中で、あるとき、裁判官は憲法で保障されているほどに独立していないのではないかとの思いが、ふと、浮かぶことになります。裁判官もまた、最高裁を頂点とする組織の統制の中に置かれ、自己の良心と組織の論理の間で揺れ動いているのかもしれない。だとすれば、一般企業に勤めるサラリーマンや行政官僚とさして変わらない管理下におかれ、悩み多き日常を過ごしているのではないか。この仮説をもとに取材をしてみよう――。
最高裁が下級審の裁判所や裁判官を管理運営する司法行政を、ひとつの視点にして、裁判所の歴史をたどり、裁判所で働く裁判官の素顔の一側面だけでも描くことができれば、読者の知る権利に応えることができるのではないか。そう思い至ったわけです。
とはいえ当時は、誰一人として、裁判官に知り合いがおりません。どのようにすれば彼らに会うことができるのか。うまい手が思い浮かばないなか、ダメ元で手紙を書き、それが届いたころに電話を入れ、取材のお願いを繰り返すという方法をとったのですが、これが驚くほど効率よく、打率にたとえればアポイントの取れる確率は6割といった印象でした。
裁判官の先生方は、ご自身の問題意識にフィットする取材申し込みを受けると、どうにもじっとしていられなくなるようなのです。話をするかどうかは別にして、まず、会ってみたくなる。人を見る仕事をしてきたゆえの、抑えられない衝動のようなものがあったのではないでしょうか。
もうひとつ、意外に感じたことは、取材でうかがったお話をコメントにまとめ、確認をお願いしたときのことです。いろいろ直しが入るものと思っていたのですが、ほとんど手が入らなかったのも驚きでした。取材中に幾度となく、この話を書いていいのか。これを書けば、誰が話したかわかるのではないかと念押しした方は数限りなく、あとで直しがはいるものと思っていたところ、これでいいと言われる方ばかりでした。
法廷で証言する被告や被告人などの話を聞いてきた裁判官の特性として、一度語ったことを、あとで都合よく訂正することへの本能的嫌悪があったのかもしれません。とともに、語ったことには責任を持つという厳しい姿勢も共通していて、感服させられっぱなしでした。
裁判所の歴史の中で消えない汚点とされているのが、長沼ナイキ基地訴訟での「平賀書簡事件」と、その後の「宮本康昭判事補再任拒否事件」です。その当事者や、事件の渦中にあって事情を熟知する元裁判官の先生方から、詳細な資料提供を受け、当時の緊迫したお話を聞けたことは、この本の背骨を創るうえで非常に役立ちました。
当時、日本中を揺るがしたこの事件を、中学生だった私は新聞で知り、最高裁の理不尽な人事を批判する記事から、漠然とジャーナリズムの世界にあこがれるようになったことを思い出したものです。
取材を終え、原稿を執筆している時も、また、不思議な感覚にとらわれていました。自分自身で書いているという気がせず、まるで操られるかのように書いている。そんな感覚での執筆でした。裁判所の現状を憂う裁判官や元裁判官の先生方の思いが、私をして書かしめたのが拙著であったのでしょう。
拙著の完成を喜んでくれたのも彼らでした。とりわけお世話になった元裁判官の先生は、行きつけのレストランに誘ってくださり、奥さまを交え3人でワインを酌み交す会話のなかで、公権力を批判することの重要さを再認識した次第です。
今回の受賞は、私にというよりは、拙著の誕生に協力してくれたすべての裁判官の先生方とともに授けられたものであったと思います。現状を憂い、正義の実現を求めてやまない彼らの心からの謙虚さがなければ、ひとつとして事実を掘り起こすことはできなかったでしょうから。受賞の栄誉を与えてくださった審査委員長ほか審査委員の方々には、感謝のほかありません。
岩瀬達哉(いわせ・たつや)
1955年、和歌山県生まれ。ジャーナリスト。2004年、『年金大崩壊』『年金の悲劇』(ともに講談社)で講談社ノンフィクション賞を受賞。また、同年「文藝春秋」に掲載された「伏魔殿 社会保険庁を解体せよ」で文藝春秋読者賞を受賞した。他の著書に、『われ万死に値す ドキュメント竹下登』『血族の王 松下幸之助とナショナルの世紀』(ともに新潮文庫)、『新聞が面白くない理由』(講談社文庫)、『ドキュメント パナソニック人事抗争史』(講談社+α文庫)などがある。
上野誠著『万葉学者、墓をしまい母を送る』
ありがとうございました
上野誠
この世でね 楽しく生きたらね……
あの世では 虫になっても鳥になっても 俺はかまわんさ
踊らにゃそんそん
生きとし生ける者は――
ついには死を迎える
ならばならば この世にいる間は……
楽しく生きなきゃー ソン!
努力をしても報われることのない世の中で、賞をいただけたということは、ありがたいことである。人生の僥倖である。ありがとうございました。だから、賞金は、すべて遊興費として散財したいと思う。エッセイストと呼ばれるからには、貯金したり、寄附したりするのは、よくない(と勝手に思っています)。
受賞の時なので、偉そうに大言すると、私は万葉学徒として、教員のひとりとして、さらには研究者として生計を立てている。『万葉集』の研究のなかでも、得意とするのは「文化論」で、文学研究よりも、万葉歌の表現分析を通した文化研究に軸足を置いて研究をしている者だ。また、三十代までは、民俗芸能研究も行なっていた。そこから、民俗学の先駆者のひとり折口信夫の研究も行なってきた。これらの仕事は、楽しいことは楽しいけれども、業績を上げないと、求職もできないし、昇任もできないので、いわばあくせくやってきた仕事である。
一方、エッセイは、楽しい仕事だ。こちらは、本を読む楽しみから生まれる読書もの。故郷の九州の人と風土を語る九州もの。奈良や大学について語る近辺雑事ものに分かれる、と思う。
では、『万葉学者、墓をしまい母を送る』は、どういう本かといえば、広くいえば九州ものの1つということになる。故郷の福岡には19年、東京の学生生活は12年、奈良での教員生活は29年に及ぶ。だから、私には私のノスタルジーがあって、故郷の朝倉市、育った博多、家族についてはよくネタにしている。
ただし、本作は介護と死というものをどう考えるか、家族の歴史をどう考えるのかということがテーマの本なので、古典研究と民俗学を足場として、自らの体験を語ることとした。介護とそれに連続する死をどう捉えるかということについて、正解などあろうはずもない。環境や経済力に左右されるし、千人千色だと思う。さらにいえば、介護される側と、介護する側の哲学のようなものが、一期一会の介護と死のかたちを作り上げてゆくのではないか、と思われる。自分勝手な哲学かもしれないけれど、私は介護する側が幸福でないと、介護される側も幸福でないと考えたので、88歳の母を騙してまで、勤務先の奈良に連れて来た。それも、一度も福岡から離れたことがない母を、である。
本書は、1973年8月の祖父の死からはじまり、2016年12月の母の死に及ぶ43年の家族小史であり、死の歴史でもある。地縁と血縁に支えられた祖父の介護と葬式。それは、多くの人びとの時間と、多額のお金を使うものであった。一方、母の介護と葬式は、多くの外注産業によって成り立つものであった。私は、死の外注化と呼んでみたが、今となっては当然のことだと思っている。私たちは、地縁と血縁のネットワークを維持するための時間とお金のコストをかけていない。だから、介護となるといきなり、家族のなかの特定のひとりが、そのすべてを抱え込んでしまうのである。
しかし、私は、祖父の介護と死のかたちがよかったとは、まったく思わない。40年前は、延べ何十人という女衆が、3日間にわたり数百食にも及ぶ食事をひたすら作り続けていた。当然、揉め事もある。その間、男衆はグダグダと酒を飲んでは話し合いをするだけ。考えてみると、今の私のアパートには、そんなスペースもありゃしない。死者を風呂に入れる湯灌の儀礼も、家族の女たちの仕事だったのだ。
私は、今、四十年前とは別の国に生きているのだと思う。介護や死の外注化について、豊かだった日本の死の文化が失われてしまったということは簡単だけれども、そういった無責任な議論をする人は、どのように介護され、どのように葬られるのか。見てみたいものだ。
母が死ぬ直前に私が書いていたのは、「讃酒歌十三首の示す死生観――『荘子』『列子』と分命論」(芳賀紀雄監修、鉄野昌弘・奥村和美編『萬葉集研究』第三十六集所収、塙書房、2016年)という論文だ。大伴旅人は、宴を楽しむ時間こそ、至福の時であり、宴の最中に、偉ぶって説教するやつなんぞ、猿だと毒を吐いている(巻三の三四四)。また、酒を飲んだ者は、鳥や虫に生まれ変わって、人間に生まれ変われないと仏教経典に書いてあるのなら、俺は宴を楽しんで、鳥や虫に生まれ変ってもよい、と歌っているではないか。
この世にし 楽しくあらば 来む世には 虫に鳥にも 我はなりなむ
生ける者 遂にも死ぬる ものにあれば
この世にある間は 楽しくをあらな
(巻三の三四八、三四九、拙訳は冒頭に掲げた)
大伴旅人は、中国、六朝時代の思想に学び、今、ここ、私の幸福こそが大切だと考えたのである。このいわば、中国の実存主義ともいうべき思想は、老荘からはじまり列子に引き継がれ、唐代に至って、禅の思想に引き継がれた。その流れのなかに、大伴旅人も不肖私めもいるのである。
彼らは、独善的な教条主義を極端に嫌い、形骸化した儀礼を鼻で笑った。にわか「家長」となって介護を担当した私は、母の葬儀についても、戒名についても悩んだが、その都度、旅人や列子、臨済義玄の言葉に励まされて、一つ一つの決断をしていった。とにかく、シンプルにと(あたりまえのことで、とりたてていうのも、おこがましいけれど)。
もちろん、教条がなくては指針が定まらないし、儀礼が外からは見えない心をかたちにする大切な文化だということも、知ってはいる。が、しかし。私には、これ以外に選択肢がなかった、と思う。
「お母さん、それでよかったろうがぁ。しかも、よか賞まで貰ろうたとばい――」。
上野誠(うえの・まこと)
1960年福岡県生まれ。國學院大學大学院文学研究科博士課程後期単位取得満期退学。博士(文学)。現在、奈良大学文学部教授(国文学科)。研究テーマは、万葉挽歌の史的研究と万葉文化論。歴史学や考古学、民俗学を取り入れた研究で、学界に新風を送っている。第12回日本民俗学会研究奨励賞、第15回上代文学会賞受賞。『魂の古代学―問いつづける折口信夫』(新潮選書、第7回角川財団学芸賞受賞。『折口信夫 魂の古代学』と改題、角川ソフィア文庫)、『万葉文化論』(ミネルヴァ書房)、『折口信夫的思考―越境する民俗学者』(青土社)、『万葉挽歌のこころ―夢と死の古代学』『遣唐使阿倍仲麻呂の夢』(ともに角川選書)、『大和三山の古代』『万葉びとの宴』(ともの講談社現代新書)、『日本人にとって聖なるものとは何か―神と自然の古代学』(中公新書)、『万葉から古代を読みとく』(ちくま新書)、『天平グレート・ジャーニー 遣唐使・平群広成の数奇な冒険』(講談社文庫)ほか著書多数。原作・脚本を手がけたオペラ「遣唐使」シリーズも好評を博している。