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  『歴史を学ぶことの大切さ』

山本 博文
 平安時代研究の第一人者であった土田直鎮氏は、中央公論社の『日本の歴史5王朝の貴族』で、「すべての歴史学者にかならず要求されねばならぬ資格」として、「自分で原史料を読解し、操作する能力」をあげ、「概説書や、他人の論文をいくら読んでも、それだけでは、けっきょく、しろうと、あるいは歴史論者の域を出ず、けっして歴史学者というべきではないのである」と書いている。
 これはその通りで、歴史解釈の根本は史料にあり、それを離れた史論は空想の域を出ない。しかし、「自分で原史料を読解し、操作する」ということを、日本史のすべての時代で実践することは実は不可能である。土田氏ですら、平安時代のすべての日記を完全に読める人がいたら不思議だ、と述懐しているぐらいで、自分が専門とする時代の史料でさえ完全には読めないし、専門以外の時代の史料に精通することなどとてもできない。
 それどころか歴史の専門家は、ある特定の時代、事件、人物については詳しく掘り下げて研究するが、自分が専門とする時代や分野以外はあまり知識がないのが一般的である。しかし、これを是とすれば、歴史学者が歴史全体についての見通しを持つことができず、あえて言えば、持つこと自体が問題である、ということにもなりかねない。これは、あまり良いこととは思えない。
 歴史を理解したと実感するのは、やはり原史料を読解し、操作して専門とする時代に対してある一定の見通しを獲得した時である。私は、こうした経験を積めば、こんどはそれを基礎に日本の歴史全体についての見通し、すなわち「史観」を得ることができるだろうし、務めてそうすべきだ、と考えるようになった。

 そうした試みの一つが、日本史をどのようにつかめばよいか、という視点で新潮新書から刊行した『歴史をつかむ技法』である。この本は歴史書というより私の史観を述べたエッセーである。幸い多くの読者を獲得し、中央公論社で選んでいる新書大賞の六位にもなった。そして、ちょうどこの本が出る頃、角川書店から『角川まんが学習シリーズ日本の歴史』全十五巻の全巻監修の依頼を受けた。私は、各巻のプロットを作成する時、『歴史をつかむ技法』の記述に準拠するよう要請し、できあがってきたプロットも最新の学説に改めるとともに、一貫した史観で統一した通史にするよう心がけた。
 これはけっこう大変なことで、旧石器時代、縄文時代、弥生時代といった考古学の分野や、稲作の伝来や原始時代以来発掘された日本人の骨を扱った本まで読んで勉強することになったが、これによって、人類がどこから日本列島にきて、どのようにして「日本人」になっていったか、その日本人の特質とは何なのか、というような論点にも確信を持った見通しを持てるようになった。簡単に述べれば、日本列島という場が日本人を作ったのであり、その歴史には、弥生時代に生まれた「ヤマト王権」とその首長である「大王(天皇)」の存在が、良きにつけ悪しきにつけ決定的に重要な意味を持った、ということである。
 古代の政治史は、いわば天皇の跡継ぎ問題をめぐる殺戮戦であったが、天皇という存在は日本に定着し、武家政治の時代になって政治的な権力を失いながら、日本という国家の名目的な君主として定着した。天皇が存在し続けてきたことで、日本人は日本という国家が永続することを確信するようになった。これは、世界史的に見れば珍しいことで、この歴史的特質が日本人の倫理や行動に大きな影響を与え、東日本大震災のような未曾有の大災害が起こっても、外国人が驚くほど秩序だった行動を自然に行う希有な国民を生み出すことになった。
 このように日本の歴史を国家の連続性という視点でとらえて見ると、江戸時代の国学者である本居宣長が「漢心(からごころ)」を排し、「やまと心」を重視した気持ちもわかるような気がしてきた。
 歴史というと、どちらかというと実用よりも趣味の領域の教養だと思われているようだが、実は政治・外交・実業などすべての現代的な課題において、長い歴史によって形成されてきた日本人の特質と外国人との違いを自覚していないと間違うことが多い。こうした実感を得るために、歴史に疎い人にもぜひ歴史を学び直してみていただきたいと思う。  

やまもと・ひろふみ 一九五七年生まれ。東京大学史料編纂所教授。専門は日本近世史。東京大学文学部卒業。同大学院を修了後、史料編纂所に勤務。博士(文学)。一九九二年、『江戸お留守居役の日記』で第四十回日本エッセイスト・クラブ賞受賞。『参勤交代』『切腹』『赤穂事件と四十六士』『武士道の名著』『流れをつかむ日本の歴史』など著書多数。NHK・Eテレ『知恵泉』、『ラジオ深夜便』などテレビやラジオに数多く出演。

 
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